2011/11/19

沢山の色んな絡み

どうも人付き合いと言うのは苦手だ。


他人がどんな風に考えてるかなんて、分かりっこないし。
考えても仕方ないと思っている。

何時何分にA地点に行きたいとその人が口にしたのなら。
その時点で急がないと行けないのか、もう少しゆっくりしていられるのか何て事はわかる。

しかし、
私のが「A地点行くならB地点にも行くだろう」っと言葉を発した時、相手がどう思い、どう感じるのかなんて到底、理解出来ないと思っています。

もしこれが前例のある事なら、それなりに言い方を買えたり、ニュアンスを買えたり試みる事も出来ますが、私が認識している事実を事実だと伝えた場合の波及効果を全部管理出来るわけがないのです。
人と接することで、私個人は接した人の数だけ存在するのだと思っています。
個人への捉え方は、相対する個人の方向からしか見えないのです。
個人の全てを知っているかのような言葉や行動は、驕りなのだと思っています。
たとえ自分の子どもであっても、知っている部分は一部分に過ぎず毎日を過ごしています。

その足りない情報を補うために想像力があるのだろは思うのですが、これが間違いを起こす原因だとも思います。

情報を補う際に使われるのは結局は過去の経験です。
こんな顔の人だから、あんな子どもがいて、あんな食事をして。きっとあんな事も言うだろうと。

しかも、それらの想像は虚像を作り、さらに自身の想像の中で具現化し、最後には自身の想像を飛び越え真実になってしまいます。

受け取り方はそれぞれで、それぞれに自由が許されている。
コレ以上でも、コレ以下でもないと思っています。その点、数の概念や科学、言語学など形の無いものに記号を与えた先駆者達は凄いと思います。

小さな集団でも、あの事はあの様に行われる事が多々あります。
それは誰がルール化したわけでもなく、誰かの気遣いからはじまり、それにあやかる方々が具現化し、あたかも創世記からあるルールの様になっていきます。
何にでも疑問を持ち、調べてみる気持ちを持ちたいと思うのと同時に、先入観で判断を曇らせないように努力もしたいと思っています。

データだけが正しいとも思いませんが、機嫌とか気分のわかるメーターとか欲しいですね。





















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